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November 2008

星野仙一氏の日本野球オリンピック敗退のコメント

 新聞記事は、人のコメントを端折って都合のよいところだけをつかうので、それをもとにいろいろと判断を下すのはよくない、ということは言うまでもないだろう。麻生首相も、文脈から切り離されたところで片言隻句を問題にされている、という印象もある(定額給付金などの不手際は彼の責任だろうが)。

 さて、北京オリンピックで億万長者軍団の日本野球チームを監督として率いた星野仙一氏は敗因について「「気持ちの面で、弱い面が出た。選手たちは気を抜いて戦ったわけではもちろんないが、気持ちの部分で差があったかもしれないとも思う」「国際試合を多く経験する場を作ることで国際大会でも動揺することなく本来の実力が発揮できるような経験を積ませることが重要かと感じている」と報告したという(サンケイスポーツのウェブサイトによる)。

 この記事を読む限り、星野氏はこの期に及んで、自らの責任ではなく、選手の精神に敗因を押し付けているように見える。技術面は短期間で飛躍的に向上できないのは当然としても、「気持の面」であれば、それはまさしく監督の責任だろう。この人がWBCの監督にならなかったのは本当によかった。3000本安打の張本はテレビで、オリンピックの直後に「関係者はしばらく表にでてくんなよ」という主旨のことを言っていたが、星野氏の顔はもうテレビで見たくないというのが私の感想だ。

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小室哲哉楽曲の過剰規制:『日本経済新聞』コラム「春秋」から

 昨日(11月25日)の『日本経済新聞』朝刊のコラム「春秋」では、小室哲哉の楽曲が過剰規制されていることを批判的にとりあげていた。全く同感で、小室哲哉逮捕後の過剰規制は全くもって不可解だ。

 コラムは、三島由紀夫が38年前の11月25日に三島由紀夫が東京・市ケ谷の陸上自衛隊・東部方面総監部バルコニーで演説、割腹自殺したことを述べて、三島がそうした犯罪を行ったにもかかわらず、三島作品は書店から消えず、逆に多くの三島本が並んだと指摘する。そして、「作家と作品が別人格とすれば、当然だろう」と言う。その上で、小室哲哉の楽曲をめぐる状況について次のように述べている。

 一方、詐欺罪で起訴された小室哲哉被告のCDは一部が発売中止。12月に公演予定の音楽座ミュージカル「マドモアゼル・モーツァルト」は小室被告が音楽を担当したため窮地に立つ。主催のテレビ局は降り、コマーシャルもままならない。右の例にならえば作曲家と作品も別人格のはずだが。過剰反応が怖い。

 他のメディアも、こういうおかしなことを見過ごさないで欲しいと思う。

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裁判員制度と性犯罪事件についての『東京新聞』の記事

 今日(11月25日)の『東京新聞』朝刊の「こちら特報部」の記事は「裁判員制度がわからない 性犯罪事件に懸念」という記事だった。強姦致死傷や強制わいせつ致死傷は裁判員制度の対象犯罪に含まれ、こうした事件も裁判員の目にさらされるというのは「二次被害」を引き起こす、という主旨の記事で、「裁判員制度」に疑問を投げかける記事になっている。「ああ、こういう問題もあるのか」という感想を持った。田原牧記者の署名記事。

 その中で、裁判官の「ジェンダー・バイアス(性別の偏見)」についても触れられている。以下はその例示部分の引用。

 一九九四年、東京地裁で無罪となった強姦致傷事件の判決があった。その判決文には「(被害者は)概ね上品な言葉遣いや態度に終始しているが、時折『おおぼけ(を)こいた』などという言葉を口走るなどして、いわば馬脚を現わして」いるので、「慎重で貞操観念があるという人物像は似つかわしくない」ため、「(証言は)信用できない」と記されていた。(『東京新聞』11月25日朝刊、25面)

 判決文というのは全部読まないとよくわからないが、上記の部分を読む限りでは確かにひどい裁判官だ。しかし、こうした常識はずれの裁判官がいるから、「司法の民主化」が必要だという主張に一定の説得力があるのも事実だろう。私も、今の裁判員制度の仕組みがうまくいくとは到底思えないが、その一方で、「司法の民主化」を何らかの形で実現する制度づくりも必要だと思う。

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諦めという成熟(『東京新聞』から)

 『東京新聞』11月20日付朝刊に、大学生に大麻が広がる背景について、精神科医・片田珠美先生へのインタビューに基づいた記事が掲載されていた。その中で、大麻の広がりと本当に関係があるかは疑問だが、大学生と付き合う身としては興味深い指摘があった。

 片田先生によれば、麻薬の広がりの背景にある一つの要因は、「社会全体が個人の成熟拒否を容認する方向になっている」ことだという。大人になるということは子供のころの夢をあきらめ現実を受け入れることでもある。つまり、「自己愛的イメージを失っていくこと」だという。しかし、最近の社会はそうした成熟とあきらめの過程へと若者を促さない。「やればできる」というメッセージを学校は送り続け、社会はそのメッセージをあおって欲望を刺激する。その中で「多くの若者は現実の自分の姿をみつめる機会なく育つ」という。その上で記事は次のように続ける。

 そして「もっとできる」はずのイメージ(万能幻想)上の自分と、「やってもできない」現実との乖離の中で精神の危機に直面し、うつになる人が増えるのと似た構図で、現実から逃れるため、薬物に手を出す人も増えるという。

 たまたま、その隣の面に出ていた漫画家の倉田真由美さんのエッセイも似たようなことを指摘していた。倉田さんは、最近は夢を持つことが大事とされているが、夢をもつことが本当に美しいことなのかと疑問を投げかける。昔話では、無欲な人が幸せに、欲深い人が痛い目にあうのがパターンだ。「夢」は「欲」の一種だ。そう指摘して次のように述べている。

 私自身、夢(欲)を持つことが悪いとまでは思わないが、あまりにも身の丈に合わないものを目指すことには賛成できない。夢に縛られ、生きにくくなるからだ。人生はゼロと百しかないわけではない。適度な満足、そして適度な諦めを持つことの美徳も伝えていかなくては、夢破れて苦しむ人ばかり増えていくように思う。

 この言葉を読んで、ブルース・スプリングスティーンを思い出した。先日、学生に聞いたら、彼の名前すら知らなかったが。

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NHKニュースウォッチ9の見識を疑う

 昨日(20日)のNHKニュースウォッチ9の冒頭は、元厚生省幹部への襲撃事件だった。冒頭にとりあげても大した捜査の進展もなく、ネタに困ったのか、作家の佐木隆三さんに犯人像を語らせていた。しかし、この時点で佐木さんが犯人に関して特別な情報を持っているとは思えないし、捜査についても現場の記者の方がずっと多くの情報を持っているだろう。佐木さんは報道などで得た情報から、印象論を語っているにすぎないはずだ。作家としては、聞かれればいろいろと解釈を語るのは当然だろうが、それをニュース番組で流すというのはどういう了見なのだろうか。いろいろな犯罪をいわば「娯楽」として、あれこれ推理したりその背景を語り合ったりして消費する視聴者がいるのは事実だろうが、それはワイドショーが満たすべき満足だろう。NHKのニュース制作者らの見識を疑う。

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学習院大学登山の「あるける会」が廃部の危機

 先日、慶應義塾大学が150周年を祝ったが、私が大学時代に在籍していた登山のクラブ「あるける会」が今度の日曜日に創部50周年を迎えるパーティーを行う。「あるける会」という軟弱な名前だが、一応体育会で、私は同期の男子がいなかったため、主将を務めた。冬の南アルプス(北岳)や八ヶ岳に登ったことがよい思い出になっている。夏に北アルプスを縦走したときに、尾根の上で吹かれた清々しい風を時折思い出したりする。私が第30代の主将だったので、私が主将を務めてから20年間が過ぎたと思うと感慨深い。

 その「あるける会」だが、実は、実質4年生が2人いるだけで、このままでは今年度いっぱいで廃部になるらしい。先輩OBの方から手紙が来て「知り合いに学習院大学の学生がいたら声をかけて欲しい」旨の連絡が来たが、残念ながら私には知り合いがいない。なので、せめてここにひっそりと書いておきたい。

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慶應義塾150周年記念イベント

 昨日(11月8日)、慶応義塾大学150周年記念イベントが日吉の校舎で行われた。私は慶應義塾には大学院のとき以来お世話になっているが、妻に誘われて、港区三田の校舎でビデオ中継(パブリック・ビューイング)を見に行った。イベントは粛々と進んだ。慶應義塾という民間の組織のイベントに、天皇皇后両陛下のご臨席を賜ったことには驚いたし、感激もした。天皇陛下が皇太子時代に、元塾長の故小泉信三氏から教えを受けられという縁があったために可能になったことだろうとは思うが、ありがたいことだ。

 イベントには感激したが、慶應義塾の福澤武・評議員議長が、両陛下の前だというのに、コートを着たままスピーチをしたことは不愉快だった。祝辞として、早稲田大学の総長のほか、ケンブリッジ大学、韓国の延世大学、中国の復旦大学、ハーバード大学の総長・学長あるいはその代理の方々からお言葉をいただいたが、外国からご臨席いただいた方々はみなコートなどは羽織っていなかった(ケンブリッジとハーバードの先生方は、博士号の授与式などで着るようなガウンを羽織り、延世・復旦大学の先生はスーツ姿だった)。日本の早稲田大学の総長と、慶應の者のみがコートを着たままスピーチを行っていた。早稲田大学の総長は、わざわざ御来賓として出席していただいたのだかあまり文句を言うつもりはないが、ご臨席賜り感謝申し上げるはずの慶應義塾の評議員会議長がコートを着たままというのはどうも納得できない。天皇皇后両陛下にも、海外からご臨席賜った方々にも失礼だと感じた。雪が降っているわけでもないのだから、寒くても少しは「痩せ我慢」すべきだったろう。

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マスコミ学会

 マスコミ学会が予定通り11月1日(土)、明治大学(東京神田)で開催された。私はワークショップの司会の役割を与えられた。ワークショップは前回の大会までは1回3時間30分(程度)という長丁場だったが、今回から90分と半分以下になった。出席者がいいたいことを言えなくてフラストレーションがたまるのではないかと心配したが、問題提起者と討論者の方がコンパクトに冒頭の報告をまとめていただき、またフロアの発言者の中にも延々と思い出話などをする方がいらっしゃらなかったおかげで、無事終わったという感じだった。

 ワークショップのテーマは「ジャーナリズムはオーディエンスの変容にどう応えるか」。新聞は経営的に危機からの出口が見えないし、雑誌は話題にものぼらなかった。振り返ると、漠然とした抽象論に終始してしまったようにも思えるが、ワークショップというのは参加者が言いたいことをいって、その結果として参加者が何らかの示唆を得ればよいというものだろうから、まあ成功したと言ってよいのだと思う。

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